【コラム】我が子の名前候補を1つ消した話

執筆:2021-09-12

皆さん、理想的な世界を妄想をすることはありますか?

我が子を切望している不妊治療中の私。
元々の性格も相まって日々たくさんの妄想をしてしまうのです。

こんな育児ができたら。
これだけは伝えたい。
あそこに連れて行こう。

そこに検索魔も加わるものだから、もう大変。まだ1人も産んでいないのにベビーグッズにやたらと詳しいし、子育てライフハックのインスタ投稿も無駄に目を通してしまう。

極めつけ。これは子供のころから興味があるんだけど、名前について考えるのが好き。素敵な名前の人に出会うと、漢字の意味を調べたくなったりした。名前は親からの想いが詰まっていたり、時に理想の押し付けだったり(笑)とにかくいろんな意味が込められた初めてのギフトであって、なんだか幸せな気持ちになる。

夫もまた似たような人で、ときどき子どもの名前について話すことがあった。散歩中に「”〇〇”って名前、いいなぁ!子供につけたいな」なんて言い出す。過去に出会ったことがある名前より、少しだけ個性が光る古典的な名前がいいとか、具体的にイメージしてみたりして。
妊活を始めてからはそれがとても楽しくて、幸せで、山あり谷ありの毎日の中で活力となった。ひらめいた名前は家族ノートにたくさん、たくさん、メモするようになり、今はまだ遠い道のりだけど、いつかこの宝箱が開く日が来る!と信じている。

先日、友人が子どもを産んだ。
その出来事は、自分の治療が辛い時期と重なってしまった。とても喜ばしいことだと心ではわかっていても、久しぶりに黒い私が沸々と沸いて拭えなかった。追い打ちをかけるように、産まれたての赤ん坊の写真とその子の名前が書かれたメッセージが届く。

あ、私が考えた名前…

この日本で姓と名に使われる響き・漢字は数多くあれど、限りはあるもの。当たり前のことだけど、メッセージに書かれたその名前は、私のものじゃない。友人夫婦が愛しい我が子のために一生懸命、調べて悩んで考え抜いた名前。本物のギフトだ。

あの子は確かに産んで、私は何も産んでいない。

そこには決定的な差があった。虚しくて、切なくて、羨ましくて、やるせない。

私が望んでいるのは、その名を名乗る赤ん坊?愛しい響きはアクセサリーじゃあるまいし、そうじゃないよね。自己満足でエゴイズム。自分の中で創り上げたものを、うっかり現実と混ぜ合わせてしまった。どす黒い自分をただ、ただ恥じる。

私とは運命じゃなかったあの名前。美しい名前。
これからもずっと忘れられない、この世に生を受けたその名前。
メモをしていた家族ノートからそっと消した。

モチベーションを高めるはずの妄想の世界は、裏目に出ることもある。望むものが手に入らず失望したり、もし一生叶わなかったらどうしよう?と答えが出る前から落胆したり。この気持ちは成仏できるのか、不安になったら本末転倒だよ。

もし、私と同じような人がいたとして。それはきっと正常なことで、いつかは本当に宝になるかもしれないし、何よりイマジネーションは心を前向きにする。
私たちは今できることをして生きているだけだよ。未来を描くことは忘れちゃいけないよ。
前を向くための道具をいくつか携えて、たくましく明日を迎えよう。
まだ見ぬ我が子を、誰よりも早くから愛そう。

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